None Ta Ma

本と映画と音楽と、散歩しながら思い浮かんだことをつらつらと。

それを神と呼んだ。

火の鳥 未来編を読んだ。

 

www.amazon.co.jp

 

「途方も無い絶望」と後輩が語って薦めてくれた本なのだけれど、

二つ前のエントリ「命が終わる場所」で思い返していた事柄につきあたった。

akudamanbo.hatenablog.com

 

「永遠」と「終わり」の、どちらもに対するおそれ、が、

この物語に見事に描かれていた。

たった一人になり、生命の途絶えた星で、「人間が生まれ直すのを」

待ち続ける存在となることの、途方も無い絶望。

「冬眠している人を起こす」シーン、と言っていたあのことばの意味合いが、

とてもよく、わかった。希望があるから、耐えることができるのだと。

 

「永遠の命」「老いない身体」

 

ドラゴンボールフリーザ編を思い返してしまうのだけれど、

「永久の命」「永久の意識」というのは、肉体がある限り

怖ろしい絶望と隣り合わせなのだ、と思う。

そしてこの火の鳥で、肉体なくも恐ろしい絶望と向かい合わせだ、と思った。

 

 

以前読書会で読んだ本の中で、もっとも私の心を揺さぶったもの。

ライプニッツの、モナドロジー。

www.amazon.co.jp

 

彼の僅か40頁弱に世界の総てを描いた思想もものすごいけれど、

この本に触れた当時はその博覧強記ぶりに舌を巻いた。

書簡のやりとりされている相手の数も、その内容の広範ぶりもだ。

こんなに「世界のあらゆること」を修めていそうな人の描いた

「世界」と「神」のお話。

 

世界とは、包み、包まれる、全一の関係。

 

読んだ当時はまったく意味が分からなかったけれど、

今はなんとなく、その輪郭が心の中に掴めた気がする。

 

私は目を瞑れば、宇宙の全てを「想像」することができる。

宇宙の果てだろうと、地球を俯瞰することだろうと、銀河を動かすことだろうと、

なんだってできる。

私は私の心の中に、宇宙全てを「包む」ことができるのだ。

 

他方で、わたしの心はわたしの肉体に閉じ込められ、

わたしの肉体は、この宇宙にとじこめられている。

宇宙に、「包み込まれている」のである。

 

宇宙を、世界を、包み込むことができる「こころ」というものと、

その「こころ」を包む「世界」。

 

「宇宙生命」と火の鳥で描かれていた「素粒子の中の生命の中の素粒子」。

どこまでいってもつづく、無限小と、宇宙と言う無限大。

 

 

「宇宙」と「諸世界」と言えば

www.amazon.co.jp

この本もまた。火刑に処される覚悟で書かれた、宇宙について。

 

「宇宙に果てはあるのだろうか。」

宇宙は無限か、有限か。

宇宙が有限だとすれば、宇宙の端っこにいったとき、その外側には何があるのか。

そこには「無」があるのか。「無」が「在る」って、あるのかないのか。

「無限」の空間って、想像できるのか。

 

なんて、ちんぷんかんぷんになりながら四苦八苦して読んだ記憶が蘇る。

 

火の鳥』『モナドロジー』『無限、宇宙および諸世界について』。

こんな本ばっか読んだり思い返したりしていたら、思考のスケールが

突き抜けて伸び切っちゃう。

 

そして部屋で紅茶の香りに気付いて、宇宙までぶっとんでった思考を

どうにかこうにか現実現在に戻すのに四苦八苦する。

 

そうして、途方に暮れるんだ。

話す、こと。そしてとまり木プロジェクト。

大学時代の後輩に、近況を聴きながらあれこれと紙に書いていたら、

「氷山モデル」なる、ひととの関わりについての図示を思いついた。

二つの氷山を並べて描いて、上部に水面線を引く。

水面から出ているところが、「他人に見せてもいいな」と手放しに想える部分。

水面下が、「自分にしか見えていない」領域である。

 

学校を始めとした社会生活では、この前者水面上の部分でのみやりとりをする。

「無難」で、「傷つかず」、社会上で合意をとれていそうな、その部分。

そうして私たちは、「見えている部分」で他人を判断するから、

水面下の部分を知覚しながら世界を見ている自分からすれば

「もどかしく」「おそろしく」「自分が変なのだろうか」などと悩んだりする。

自己開示をすれば、村八分にあうのではないか、そこまでいかなくても、

自分の好き嫌いを開陳したとき、それがマジョリティに受け容れれなくば・・・。

そんな「承認欲求」を裏返した様な不安に苛まれて、生きている。

 

「探り合い」で生きる、と言う感覚は多分に、そういう感覚からくるのだろう。

「親友」という感覚は、この「水面下」の部分の話をしても大丈夫だ、

という「安心感」を得た間柄なのだろうな、と思う。

 

そうして、「夢」とか「想い」とか「好ききらい」というのは、

「大衆バイアス」の様な「世間的に価値を是認されたもの」にそぐうもの以外は、

「表面化することに勇気を」伴う。

社会的に置かれた「正しさ」のものさし、「形式化された価値」に照らして、

正解探しをしながら生きている。

きっと、そんな感覚なのだろうな、と思った。

 

 

後輩が活動している学生団体のサマースクール(の様なもの)で、

活動最終日に泣く高校生が多い、という話を聴いて、

就活相談に乗っていると、その相手が泣きだすことが少なくないな、

ということを想った。

 

きっと、「安心するんだ」ろうな、と、想う。

水面下を、受け容れてもらえる場所があった、人がいた。

自分の個体が咥え抱え込んでいるこの水面下の想いを、

それがそこに「在るんだよ」って、みてくれる人がいた。

 

なんだかそれに、安堵する感覚なんじゃなかろうかと、

泣きじゃくった一か月前の自分を思い返して、想った。

うん、「視てくれている人がいる」「聴いてくれる人がいる」って、

こんなにも、安心するんだってことに、立ち尽くしたんだ。

 

 

 

なんだかそんな、「場所」を、創りたくなった。

 

 

思い返してみれば、そんな風に「話すことができる」場所を用意すること、

その場所にいること、その場所そのものになることが、昔から好きだった。

 

小学生の頃に創って4年くらい続けたHP運営も、クラスメイトに留まらず

学校の先生や他の地域のゲーム仲間を交えて、夜通しチャットに供したり、

当時通っていた塾で学んだことやらを基にテスト対策頁をつくってシェアしたり。

 

大学生の頃に好んで開いた「料理会」も、きっとおんなじ根っこで。

誰かと誰かの「橋渡し」に、誰かとその人自身の「鏡」に、

おんなじ想いを求める人たちのプラットフォームに。

料理をつくることも、喋ることも、音楽をやることも、

きっとそういう「場」をつくる、「場」になることに、向いていた。

 

そして今でも、そういう「場」であり「橋」でありインタープリターで在りたい。

 

 

卒業するとき、後輩にもらった「とまり木の様な人ですね」ということばを、

今でもとても大切にしていて。

だから、「とまり木」の様な場所を、ちゃんと創っていきたいと、想ってる。

 

 

コンセプト創りに関心のあるやつ、植物に詳しい人、カフェ好き、

お客さんの顔を見て淹れるコーヒーを選べる人、本屋さん、建築家、

土地もち、デザイナー、そして、経営コンサル。

  

幸い、とても活きそうな人の顔がいくつもいくつも浮かぶから。

やりたいことを、ちゃんと形にしていけたらいいなと、改めて思った。

 

www.youtube.com

命が終わる場所

そんな話を投げかけられて、にわかに意識が浮揚する。

 

死生観に苦しんでいた10歳の頃の自分が、

何をあんなに恐れていたのかということを言語化しようとしてみて、

それでも今も変わらず「循環参照」みたいな袋小路になる。

 

「自分の死」を想うとき、二つのことが浮かぶ。

 

終わりは嫌だ

永遠も嫌だ

 

この二者の循環ループである。

これを考え始めると途端、意識のCPUがシャットダウンする。

叫び声をあげたくなる。

これが継続する感覚が、「発狂」というものなのかと、

その急騰する脳内の温度を想う。

 

大学時代、友人に教えてもらったRADWIMPS

「ヒキコモリロリン」の歌詞が、取り急ぎ僕のアスピリンだ。

www.youtube.com

 

死んだ後にどこに行こうが 心配するの早すぎやしないか?

まずは人間を生きてから 明日の楽しみ数えてから

 

 

うん、「考えない」という抵抗だ。

自死」を「想わない」。

 

 

他方で、池田晶子の『考える日々』を読んでいて、

「死とは無だ。なんにも無いってこと。」からっぽ。

なんにもないからっぽなのに、何を恐れることがある?

認識と、感覚と、思考と、自己存在と、ぜんぶぜんぶいっさいがっさい、

そこから先はぷつんと、無くなる。

残るのは残されたひとたちの記憶だけ。

 

www.amazon.co.jp

 

「おそれ」の正体は、なんなのだろう。

私はなにを、「こわがって」いるのだろう。

10歳の頃の自分がおそれていた漠然としたもやもやとした重苦しくて苦しい感覚

18歳の頃の自分が自壊しそうになる夜の欄干で茫漠としていた途方も無い感覚

24歳の自分が現前の苦しさから目を背けたくて憧れた憧憬

そして、今。

 

死は、「誰かの死」でしかなくて。

 

自死を想うとき、私の中の<わたし>が見聞き感じ思考するのは

結局のところ生のことばかりで。

 

「命が終わる場所」としてふさわしき、

なんて、想うのは外から見える私の肉体のその後なのだろうか。

それとも<わたし>それそのものがぷつんと切れるそのときまでを、

感じ思い続けていたい「最期にみたい光景と感触」へのねがいなのか。

 

 

生き永らえるために

生き続けるために

 

肉体の物理的変化に、物理的側面から抗い続けるのが医療なら

尽き逝く自らの生の観測主体、この肉体にとじこめられた<わたし>を

生に繋ぎ続けたいと願うのはなんなのだろうか。

 

「たい」なく生きるのは「たくない」の消極的な結果だけ、なのだろうか。

 

 

「わたしの葬式」を、見てみたいと思う。

でもそれは単に、生きている周囲のきもちを見たい、というただそれだけなのだと、気付く。

私が死さなければ見ることのできない「想い」は、視えないままでいいのかしら。

数字になる。セレモニーになる。偲ぶ側は自らの気持ちに目を向ける。

 

 

 

祖母が亡くなった夏を想いだした。

ほとんど徹夜で寝ていなくてぼーっとしていた夕方の職場に、

母から電話が入った。

その足で電車に飛び乗り、帰省の途についた。

電車の中であたまはぼーっとし続けて、感覚が追い付いてこなかった。

家に付いても、その手触りの無い現実感は、手触りの無いままだった。

亡くなった祖母の冷たい身体、動かないつくりものの様な容貌をみても、

まだ実感が湧かなかった。

 

葬儀場で、老人ホームの方々が作って下さった、アルバムを見たとき、

 

初めて哀しみが追い付いた。

 

 

 

 

泣き崩れて、何もできなかった。ただただ泣くことしかできなかった。

 

「こんな顔で、笑っていたんだ」

 

 

途方に暮れた。

 

同時に、彼ら彼女らのしごとが、とてもとても尊いものに思えた。

今まで知り得たどんな職業よりも、素晴らしいものに思えた。

 

 

 

 

そういえば祖父は、「屋上からの前橋の景色がみたい」と語っていた。

想っていたのだろうか、命を終える場所を。

 

祖父の葬儀で、まだ自分の脚で歩いていた頃の祖母が、

えんぴつを棺の中に入れていたのを思い出した。

 

「天国のじーさんから、ラブレターを書いてもらえる様にね」

 

 

 

自分の「命が終わる場所」を想うに、

それは「場所」だけなのか、なにか「終え」ておくことを希うのか、

そんなことが、気になり始めた。

 

イリイチの読書会の際、「どう生きていきたいか」なくば成人学習なんて、

などと口にしたけれど、「生きていきたい、かたち」にはまだ無自覚だ。

 

今の生活、いまの暮らしぶり、今のしごと、今のひととのかかわり。

それが、「生きていきたい、かたち」なのかと問うて、

手放しにYesを言える気がしないのは、きっと「たい」の在り方を想う、

無自覚無意識の<わたし>がいるからなのだろうな、とおもう。

 

 

「自分の葬式までわかんない」なんてことになんないよーに

かかわれるひとに、かかわれるうちに、ちゃんと関わっておきたいから、

 

だから、「真摯に向き合いたい」なんて、望んだのかもしれない。

 

www.youtube.com

フックされるルーツを、

思い返しながら、思い出した記憶を置いていこうと思い立つ。

 

タイムラインで「ソースネクスト」の説明会ぼっちの話を眺めてたら、

ふと思い出した。

「算数伝説 ドラゴンクリスタルを探せ」というPCゲームだ。

1997年発売、とのことだから、これ私が8歳くらいの頃に出たんだな。

RPG要素のある算数ゲームだったんだけど、これものすごくハマってて、

夢中になってやった記憶がある。

想えば算数に対して苦手意識が無かったのって、このゲームのおかげだったかも。

懐かしくなって動画検索してみたらエンディング動画が出てきて、

主人公たちの声を聴いて懐かしさに噎びそうだった。

 

算数的なコト、といえば、高校時代にやってた通学中の遊びを思い出した。

自転車で全速力で登校する朝の日々だったのだけれど、

すれ違う車のナンバーを見ては、4つの数字の掛け算をやってた。

「5629」だから、5×6で30、2×9で18、この二つをかけると540…みたいな感じだ。

なんでそんなことを始めたのかは覚えていない。

 

そんなことを書いていたら小学校3年生の「自主学習」を思い出した。

ひたすら変な立方体(穴あきチーズみたいな)を書いては体積を計算する、

みたいなことをやっていた気がする。

あの頃のF先生はやる気を引き出すのがうまかった気がする。

自由帳に1頁、なんでもいいから自主学習をしてもっていくと、

動物のシールを貼ってくれた。

なんだかこのシール集めが楽しくて、毎日ノートに何を書こう、と思っていた。

 

 

ところ変わって体育だけど、こちらもなんか「埋めていく楽しさ」だったな。

マラソン大会に向けて、休み時間に自主練で校庭を周回するのだけれど、

その周回数分だけ、渡されたすごろくの様な用紙に色を塗ることができた。

なんだかズルっぽいことを覚えて、校庭いっぱいを大回りで走ったら5周分にする、

なんて自分たちのルールを作って好き勝手やってた。

 

マラソン大会といえば、小学校の頃は6年間で2回だか1回だかしか出なかった。

なんかいつも直前に熱出してた。

小学校6年のマラソン大会、たしかスマブラDXが発売した頃で、

友人の家に遊びに行ってそのゲームをやることばかり頭にあった気がする。

 

中学に入って最も苦しかったのはなんといっても駅伝で、

「短距離長距離問わず陸上部は全員強制参加」なんて言われたもんだからたまらない。

陸上部で最も体力無しの私はその苦しさに逃げ出したくてたまらなかったけれど、

当時の片恋相手と話す機会だったから、歯食いしばって走ってた気がする。

 

想えばあの頃は「がんばー!」と腹の底から走る仲間を応援していたし、

誰よりも声を出すことに命かけてた様なところがある。

もう準備体操やアップから全力だった。ラダー大好きだったくらい。

そう思うと、あの頃のエネルギーはいったいどこへ行ってしまったんだろう、

とちょっと寂しく思う。藤棚の下のアップ、砂場の冷たさ。

ソフトボール部との校庭の取り合いもあったっけ。

 

「変形ダッシュ」という練習メニューが好きだった。

あらゆる「変な体勢」からヨーイどんで30m競争をする練習だったけれど、

なんかこれに命かけてたところある。勝てる種目だったからかもしれない。

 

トラックを思い出す。スパイクで地を蹴る感覚を思い出す。

真っ青な空、瑞々しい緑の芝生、火照る身体を冷ます風、湿布の匂い、

エネルゲンとカロリーメイトの味、スターティングブロックの金属音。

いつでもスタート前の瞬間は心臓がバクバクで、

身体を起こす頃にはもうゴールが目前で。

地を蹴り、空を駆る、そんな、感覚だった。

「エンドレスリレー」、きつかったな。

メディスンボール」、なんで私だけいつも最重量だったのかな。

想えばあの頃、手に握るバトンが、リレーの第一走者という役割が、

自分にとっての拠って立つ場所だった様に想う。

脚の速さだけが、大きな誇りだった様に、想うのだ。

 

 

これまたPCのソフトウェアだけど、「ファインアーティスト」にもハマってた。

よく、国旗の模写をしたり、動くアートブロックで物語を作ったりしていた。

 

模写と言えば、ポケモンシール「最強シール列伝」の模写をしていた様な。

そして、町内会で毎年同じモチーフの同じ納涼祭の絵を描き、

毎年判を押した様に自治会長賞をもらっていた。

 

表現といえば、「ロックマンエグゼ2」にハマってよく出入りしていたHPがきっかけで、

自分でHPを作ってみたことがあった。CGIの掲示板、チャットを作っておいていた。

想えばあの頃からチャットに入り浸り、くだらないおしゃべりを一晩中していた。

携帯電話を持てた頃、それでもPCメールでクラスメイトとやりとりをし続けていて、

めちゃめちゃフォルダを細分化していた様に想う。

入院していた頃、上述の片恋相手からのメールに励まされたのを思い出した。

そういえば入院にかこつけてNARUTOを全巻買い揃えて貰ったのが懐かしい。

あれは中2の頃だったか。

 

ラブレターをもらったのを思い出した。あの紙の折り方、

亀の甲羅みたいな折り方、いまはもう覚えていない。

 

公文式に通っていた頃、自由に読めた本の中で、印象的だったものがある。

「本当は怖いグリム童話」みたいな本だった。怖かった。ただただ。

 

 

そういえば、学校の前で配られていた聖書を、朝の読書の時間に読んでいたことがあった。

 

想い出深い本がある。

恍惚の人』という痴呆老人をテーマとした小説と、

なんといっても『荒野にネコは生き抜いて』だ。

 

www.amazon.co.jp

 

あー!表紙懐かしい。

野に捨てられた子猫が、山火事から逃げたり、天敵に襲われたり、妊娠したり。

そして最後の、

 

 

 

幼少の頃に触れていたPCゲームの話から、

こんなに色々想いだすとは思わなんだ。

 

過去の回想、久々に自分の中身を掘り起こした、感覚。

笑っちゃうくらい、今に繋がってるじゃん。

 

既定路線に対する、

懐疑を以て、さぁ挑まん。

 

www.amazon.co.jp

 

3月8日に行われた読書会のテーマ本。『脱学校の社会』。

「教育研究会」と銘打って選書がなされて数冊目、

ラテンアメリカより、「制度」への懐疑をテーマに。

 

「価値の制度化」に対する警鐘に、フックされた感覚があります。

「健康」は、「病院へ行くことで」達成されるものなのか。

「知性」は、「単位を稼ぐことで」築かれるものなのか。

社会が肯んじた「形式」に則ることが、「価値」を「価値たらしめる」方法となってしまったものって、少なくないのだろうな、と思う。

「学歴」「職業」なんてわかりやすく、ラベルを貼れる価値のものさしになる。

 

他方で、「それそのものの真実性」「たしからしさ」、というものを論ずるに、

寄る辺となる割り切りもまた、社会経済を想えば「形式」の功労なのだとも思う。

法技術としての「擬制」「要件事実の認定」や、「統計」あたりはなんとなく、

「こうだったらそうなんだ、”と、いうことにしよう”」が「正しさ」の権威性を帯びているイメージがある。

 

ところで「名画」を見たら「よいとこ」を探さなきゃならない、というような、「すぐれている」と言わなきゃならないと急き立てられる様な、あの「同調圧力」はいったい、なんなのだろう。「村八分」を恐れる連帯性なのか、「自分の感性」への寄る辺無さなのか。ランキングの権威性、然り。

 

 

「脱学校」というコンセプトは、「制度依存」が人間性―独力で問題を解決する力―を破壊する、という問題意識を結晶化したものだ。

「それに則っていれば”正しい”」を是認される、という仕組みは、

反射的に「則らないものを”誤り”」とみなす同調圧力をも内包している。

「レールから外れる」「ドロップアウトする」ことへの、落ち着かなさ、後ろめたさは、いったいどこからくるのだろう。

「周囲が出来ている―他の誰かにできること―を、自分は出来なかった」という負い目なのだろうか。そもそれが「できる」必要があるのだろうか、という、「規定された」価値観に向き合ってみる。

 

「学んだコト」は、「学校の中」で、だったろうか。

 

「大学」に通った意味合いを、考えてみる。私にとっては、庇護からの離脱”気分”、

自己選択の連続、居場所の創出と維持、自らの関心に則った集束と繋がり、といったものが、「大学で」得られたものだった様に想う。

友人、法リテラシー、居場所、というのもまたそうだろう。

他方で、「大学時代に」得たこと、という括りに拡大するのなら、それは「学校内」に留まることなく積み上げられるなぁとも気付く。

ではなぜそれは、「学校内部で」達されず、「学校外で」達されたのだろう。

「人と関わる場」という意味合いでみるのなら、内外に意味合いを見出せるだろうか。

 

「学習」とは、「学ぶ側」の態度であり、「教育」に拠ろうと拠るまいと、

学校であろうとなかろうと、それは周囲「環境」のせいに帰属できまい。

ただ、それには「学習のシェマ」が要る。

そう想う様になって、そのシェマを誰かに渡すことに関心が向いた。

 

 

ここまで書いてきて、やっぱり自分の中ではまだ消化不良なんだなぁ、と思う。

筆が乗らない。なんでかな?

 

「情理を尽くして」読み手に寄り添えている感覚が、まるで無い。

あの日に話して、あの日に思っていたことは、いったいどこへ行ったんだ。

 

「成人学習」と「動詞的弁証法」は、それそう言葉にしてみればなんとなくそれっぽく蘇りもするけれど、ではいったいそれはなんなのだ、と問われれば、トートロジーの壊れたおもちゃに成り下がるだろう。

 

うーん。難しいや。

 

話したりないのか、アルコールのせいなのか、読み足りないのか、恐れているのか。

指が快活に踊ってくれないのは、いったいどうしてなのかしらね。

 

 

新人を迎える時分だし、

手もとの本をいじってて、並べておこうと思い立つ。

 

3年間、お仕事をしてみて、役に立ったなぁ、という本をぽこぽこと並べ立ててみようと思います。

きっとまた、切り口を変えつつ選ぶ数を変えつつ同じ本を何度も書くことになるんだろうなぁ、とも、思いつつ。

このあたり、いい編集方法 / 切り口があったら投げかけて欲しいですね。

 

「適切な問こそが適切な解を導く」ものなのだそうだからさ。

 

1.働き始めてからの人生で最も役に立っているものごとの捉え方 

www.amazon.co.jp

ことあるごとに、都度色んな人に薦めておりますし、延べ10人以上は買って読んでくれた様です。「一段高い視点」なるものを、範囲×時間で具体的に捉える認知心理学の概念「人称」を用いた視座転換。

メタ認知のとっかかりにも、困ったときの心の処方箋にも。

 

2.海原に漕ぎ出す前に地図を持とう。

www.amazon.co.jp

読書会の主催者が、よく口にする。

「知識」と「実践」が、断絶してしまっている人がたくさんいる、という実態。

「授業」は知識。「部活」は実践。

「講義」は知識。「サークル」は実践。

 

知識を得るための教育機関から、即実践を求められる企業活動への、ジャンプ。

この両者をきちんとブリッジできていないから、

「大学で学んだことなんて仕事では役に立たないよ」なんて乾いたことばが出てくるのだろうなぁ、と、ぼんやりと。

この本の優れたところは、「知識」と「実践」を繋ぐための「地図」を、体系的に描いていることだと思う。

世の「仕事本」「ノウハウ本」が、単一のシェマを取り上げて尖らせ、一つの関心事にフックして手に取らせる仕掛けになっているけれど、この本があればそれらを適切に「整理」するための地図を手にすることができる。

 

3.お仕事って、だいたいが「提案」だから。

www.amazon.co.jp

そう快刀乱麻に語って描かれる、「提案する力」の構造化。

「人が納得しない理由」を、

「それってほんとなの?」「それで全部なの?」という切り口で論理整合と集合網羅(MECE)に落とし込んでいるところに膝をうつ想いだった。

「会議設計」に困ったとき、いつもこの本に立ち返ると道が開けてきた気がします。

 

4.ラクガキ―それは、「伝える」ための処方箋

www.amazon.co.jp

私はいつも、人と話をするときはA4のレポート用紙と青色サインペン(+赤、緑)をもって臨む様にしています。それは、格段に話をしやすくなるから。

伝えるためにも、伝えてもらうためにも。

文字情報、に限らず、「構造化」する技術は、伝えたいけどうまくことばに落とし込めていない事柄や、一瞥で全体像や関係性を伝えたい場合にとても有用で、なおかつ、自分が考えていることを整理する上でもとてもとても役に立つ力です。

「思考補助」×「コミュニケーション効率」のSkill本。

それだけでも十分使えるのに、後段にめちゃめちゃ使える会議フレームが載ってる。

前述の『ロジカルプレゼンテーション』で「提案の構造」を掴んだ上で、この本のゲーム・ワークショップを実演できる様になれば、ファシリテート含めた会議運用はかなり上達するんじゃないかなぁ。

 

 

5.立読みで読み終えたのに手元に欲しくて買っちゃった本

www.amazon.co.jp

 

書店で見かけるとついつい手に取ってしまうノート術・メモ術の本。だいたい立読みで読み終えられるし、自分が読んできた本や実践の棚卸目的でパラパラと読むことが多いのですが、記憶を呼び覚ますのにいいな、と思って手元に欲しくなりました。

読みながら、自分が読んだことのある本が4~5冊浮かんできたので、「思考技術」の整理や新人さんにお渡しする「言語の共通化」に便利そう、というのがその理由。

 

6.「エクセルなんて!」とアレルギーを持つ前に

 

www.amazon.co.jp

この本を読んで以来、この「表の見せ方」を愛用する様になりました。

「見せ方」に魂の入らない資料は見るに値しない、なんてバッサリ切られることも多いですが、まずは「どんなふうに見せたら見やすいのかな?」というのを知ることが有用なんじゃないかなぁ、という実感から。

私はいつも、資料作りは印刷範囲の設定から始めます。

 

7.「見せ方」の前に立つもの。

www.amazon.co.jp

「PPT」本って、だいたいが「表の見せ方作り方」というカタログ紹介じみたものを多く見かけるのですが、この本は度肝を抜かれるくらいずっと、そういったものが出てきません。

ひたすら、「資料の構造」を説明された本。

今でこそ社内・部署界隈では「パワポ職人」なんて呼んでもらえる様になってきましたけれど、ちゃんとPPTを触り始めたのは2年目の梅雨からでした。その頃に作った資料を見返すと破り捨てたくなりますけれど、この本と出会ってから少しずつ、今の資料の作り方、になってきた様な気がします。

 

 

こんな調子で挙げていったら、平気で20冊前後も出てきてしまいそうだなぁ、と思っていたらだいたいこのあたりで9,400字弱なんですね。

個別ですげー役に立ったなぁ、という本でいえば

www.amazon.co.jp

こんな本もありますが、こんなの普通の事業会社に就職したら一生に一度出会うかどうか、みたいな事柄の内容だと思うので、今回は割愛かな。

 

挙げきれなかったけれど役に立っている本、というのはたくさんあるので、折を見て整理していけたらいいですね。『ファシリテーション入門』『ファシリテーショングラフィック』『プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える』『世界一わかりやすいプロジェクトマネジメント』『ゼロ秒思考』『不格好経営』あたりも、とても役に立ってるし、

 

 

・・・キリが無いや。

陽光とあたたかさの手触りが、

なんだかもわもわと手に顔に触れてじんわりと汗を呼ぶ。

 

昨日は会社の偉い人が「席が近くだったのが運の尽きだったと思って頼みをきいてくれ!」と投げかけてきた会議の代打にうってでるコトとなりました。

もうすぐ期末。聴けば代役を頼まれた二つの会議が二つとも、最終回。

今までどんなことをされていて、伝えるべきメッセージのブリーフィングは受けたけれど、参加メンバーの顔触れを見て目を白黒。役員が出てるような会議ですやん。

 

ひとつめ。品質向上委員会。

お仕事柄、「資料の品質」というものがお客さんへの提供価値そのものに直結するわけだけれど、ミス・クレームをどうやって撲滅していこうか、という集まり。

エクセルの集計ミスやら寝坊、コミュニケーションギャップやステークホルダーのボタンの掛け違い。一年通して全部署で「起こってしまった」あれこれをコツコツ集計してきたのがこの委員会の主たる業績の様です。

 

突貫案件やら、プールアサインやら。

プロジェクトマネジメントそれそのものの能力不備は無論のこと、そこに手を回せず是正できない根本原因として高稼働、というのは厳然とある。他方で、それにかまけて「ミスを撲滅出来ない言い訳」とするならば、それはプロ失格、と言われても仕方ないやな、とも、当然思うのだ。他者の目が必要ならばそれを通す段取りと仕切りをするのが仕事というものだろう。

とはいえ、チェック機能を果たせる人材は、ほとんどがフロントに立って全国を飛び回っているものだから、それが機能するとは言い難い、という痛し痒しの状況にあることもまた、事実なのだろうけれど。

 

この一ヵ月ほど、採用活動やら会社の中期経営計画やら、全社営業会議やらに触れる機会が多かったので、「この会社って」ということを考える時間が長くなった。

コアコンピタンスはチャネルとマンパワーだろうなぁ、と、なんとなく。

売上高を創るための拠点構築のための必要条件が、

それすなわちクライアントへの役務提供成果である。

何故なら、仕事を紹介してくれるのが金融機関である以上、

仕事の成果もまた業績数値となって伝わるのも金融機関なわけで。

その意味では、「入ったのに成果があがりませんでした」はすぐさま白日のもとに晒されるのだ。

 

他方で、顧客とするのが中小企業中心、ということを踏まえれば、個社リソースの欠けがちな顧客に対して、専門バカでない労働力(かつ、専門性が必要であればレバレッジの利く)というのは相応に需要があるのだろう。ファーム規模がある、というのはこういう面でニーズを満たす裏打ちになるのだろうな、と思う。

 

肝心の「情報」「ソリューション」の強さについては、なんとも。

参入障壁を築くレベルのリサーチ/内部ナレッジなんてものは正直持っていないし、

いるとしても属人要素が強すぎる。それはやっぱり設立十数年の会社だなぁと思うところでもあるし、活かしきれていない社内リソースなんてたくさんあるのだなぁと思うところでもある。

 

 

ふたつめ。経営者のお悩み検討会。

個別のお客様を題材に、案件の情報を聴いて行ってみると・・・。

売上規模拡大に向けたアプローチを模索中、とのことで、アンゾフのマトリクスを切り口にあれこれとプロダクトやマーケットを挙げられていたけれど、問題はそんなところじゃあ、なかった。経営そのもの、もっといえば、数年後、次代の経営主体にあった。

 

会社の組織構成図とキーマンの特定、経営陣の人間関係と資本構成、過去の経営の軌跡と思惑を整理してみると、こんなにも鮮やかに会社の脳みそが見えてくるんだ、というんが新鮮だった。どんな案件でも当たり前に押さえなければならない要素なのだろうけれど、特にオーナー企業であればなおさら、という感じだ。

情報に触るにも手段と作法がある。当たり前にデータが揃っている大企業とは異なり、必要な情報に触りに行くまでに越えなければならなきゃならない段階がいくつもあるけれど、人間関係を築くところから、というのは、やっぱり基本なのだろうな、と思う。

 

最近、世の中における経営の関心事は「事業承継」と「M&A」なのだそうだ。

金融機関の動向をみると、そういう役務提供をできる様に組織編成をされている地方銀行も少なくないし、外部委託をせずとも自前で担ってフロービジネスをやろう、という向きもあるそうだ。

団塊の世代の引退時期ということは、現時点で経営の中枢にいる様な人たちが一斉に第一線を退く、ということであり、会社の首脳がガラリと変わる契機でもある。

単に、挿げ替えれば、経営は引き継がれるかといえば、それはNoだ。

だから「人的承継」がもてはやされるし、単なる物的承継で税負担を減らす、ことに留まるだけでは手当の出来ない、「次代への経営のひきつぎ」が脚光を浴びるのだろう。

 

 

知れば知るほどに、まだまだスタートラインが「見えた」くらいに過ぎないなぁというのを、突き付けられる想いだ。

 

 

すっかり春の風が吹く。

もうすぐ社会に出て丸3年が経つ。

 

私は、胸を張ってお客さんの前に立てる様に、なれただろうか。