None Ta Ma

本と映画と音楽と、散歩しながら思い浮かんだことをつらつらと。

ある種、開き直れば

思考することを文字におこす作業も、そんなに煩雑なことでもなくなるんじゃないかな。

 

先週末の読書会のテーマ本、チャールズ・サンダース・パースの講演集より。

前回はプラグマティズムの流れを汲むウィリアム・ジェイムズの著作を読んだわけだけれど、それとはまた関心と語る対象がやや違うものと感じました。

 

過去来の哲学者とは、こんな風に風変りであった。

そんな語りから始まる全8回の講演より6編をまとめた本書は、推論についての考察から始まる。

それそのものが持つ本性・特徴、変化する関係性、そして変化に向かう種。

「連続性」という概念で世界の起こりから通底する原理を描こうとしている。

 

今回の読書会には10人弱が集まり、数学専攻の学生二人、物理学の博士課程の院生一人、政治学専攻一人、社会学専攻一人、社会人二人、ハイパー人類一人、かな。

いつも通り「おもしろかったところ気になったところを一人ずつシェアしていこう」ということで始まったわけだけど、一巡するのに2時間かかったよ!とんでもないよ!

 

参加者の一人からの提案で、「ものごとを理解する際に自分が用いている”イメージ”を図示してみよう」というワークショップがあったのだけれど、これがまた面白かった。

提案者から「自然観」「人間観」「社会観」の切り口と共に、「世界の構造」の理解(本質からの逆ピラミッドを積み上げていくことで世界のあらゆる事象を記述できるはず)の開陳を皮切りに、各人が思い思いに「世界の捉え方」を図示していく。

 

主催者の「光」の捉え方から見た「観測者の限界」と3項構造は快刀乱麻の応用性をもっていたし、自分の内面・記憶の認識部分が世界を通して世界実態を投影する、世界・言語という一点でのみ交わるひととひととは、本質的に誤解を多分に含まざるを得ない構造関係にある、という世界認識も、自分の内面に沸き起こるもやもやとしたアメーバ状の、とらえどころのない「原初感覚」に無理やり服を着せて全体を捨象する「言語化」へのもどかしさをよく言い表していた様に想う。自分の世界が終わっても、他人の世界は続く、だから世界は世界として続く、というのも、自分の肌感覚に合う。

 

さて私個人はライプニッツの『モナドロジー』を読んで以来、「包み包まれる」関係性、ねじれの入れ子構造に関心が向いている。

思惟する自分の、思惟の中には、時間も、空間も、すっぽりと収まってしまう。人間精神は、世界の総てを、過去も、未来も、全宇宙も、諸世界も、「想像しうる」と言う意味で、「包み込む」ことができる。

他方で、思惟する自分の「肉体」は物質として世界に厳然として在る限り、「世界」という空間に「包まれて」いるし、生成変化する「時間」にも一方向の不可逆に囚われている。

 

世界を包みうる精神の在り処は、またそれを包み込む世界の内側なのだ。

 

 

きっと今、ブルーノを読み返したら、また違う発見があるのだろう。

 

【本】 ものが思考する、世界へ。 『コンテキストの時代』

この週末は久々に連休を頂けているので大分ゆっくりできている気がします。

積読していた本を抱え込んで馴染みのサンマルクへ。

 

1.プッシュからプルへ。能動をフックする行動予測の世界。

コンテキストとは、「文脈」であったり、「前後の関係に位置付けられる意味合い」であったり。

気付けば「昨日世界にあった全ての量よりも多くのデータが、次の日一日で生み出される」なんて世界に私たちは生きていて、そんな「情報の海」の中で意味ある宝物をみつけるための武器が、「検索」です。

種々雑多にラベリングされた砂の山から、砂金を探す様なこの作業を、瞬時に叶えることでインターネットの覇権を握ったGoogle

それに追随し、「人と人との関係性」を砂の山にし、たとえば「ぼくの友人がいいねしたお店」なんて直感的な「知りたいこと」で「検索」を従えようとするFacebook

 

コンサルタントと言う仕事をしていると多分に、「検索するにはリテラシーが必要」と感じることが多く、目の前に投げかけられた「問い」に対して適切な「構造」をあてはめ、「探り当てるべき情報」を分解できる技術がなければ求める「解答」には辿りつけない、という現実に何度も何度もぶちあたります。

 

「全世界に、全ての知を」。

 

「小学校」設立の理念と共通するGoogleが目指す世界。

宝物は既にWebという海にあちらこちらに散らばってる。

この世に全てが置いてある、とまでいかなくとも、欲するものの多くは眠っている。

そこに、辿りつくための、作法。

 

AppleIphoneに「操作の直観性」という観点からインターフェースを設計して成功したわけだけれど、このコンセプトを「検索」にあてはめたなら。

 

そこで出てくるキーワードがこの、「コンテキスト」。

投げかけられた「ことば」を、「前後の文脈」を以て、適切な意図を汲み取り、望む結果を持ちかける。

ウェアラブルは、各個人の「前後の文脈」を集めるためのツールだ。そうして、各個人が「望んでいるであろうこと」を、推測判断する。

 

もう、そんなの、思考じゃないか。

 

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さて、読んでいる本のストックは溜まったのだけれど、これから出掛けなきゃいけないので、備忘だけ。

 

2.街を変える小さな店:街の文化を、「編集する」という発想

3.0ベース思考:「ものがたり」で伝える「アウトサイドザボックス」

4.あしたから出版社:読み物として抜群に面白いです。

5.日本カフェ興亡記:120年前に初めて日本に喫茶店が、できてから。

6.ダ・ヴィンチ5月号:NARUTO特集だってばよ

7.連続性の哲学:読み終わってないやばいやばい

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最近の私の関心は、「メディア」「本屋さん」「喫茶店」「場」ですかね。

さて、出掛けなくちゃ。

 

連日、書き連ねてて

お仕事で連日外出。

話をじっくりとっくり聴いて、その場で打ち込んだ文字の雨あられを、夜中に会社でカタカタと直していると、静かに時計の針がくるくると回りきっていて。

四夜連続でキーボックスを金庫にしまいながら、ふぅと息をついたらそれが白くて。

 

そう、「誰かの語った」ことばに服を着せつづけた今週だったけれど、さて私は私の中に浮き沈みしたことばをはだかんぼのままで震えさせておりました。

 

三者の、三様の、想いに触れて、キーをたたく。

 

 

月曜日。

日曜日にJ-Waveのライブで熱狂したのち夜中の会社でカタカタと作った資料を、クタクタの顔を必死にひっこめながら打ち合わせにいく。

「商売人」って、こういう気質のひとのことを言うんだろうな、と感じる美容室の社長様。他の業態の店舗展開の話がぽんぽん出てくる。

「スター」が生まれやすいこの業界、スターの巣立ちと共にお客様やスタッフがごそっと抜け出ていってしまうから、ボラティリティが大きくなかなか経営の安定化を図ろうと思うと苦労されることが多いご様子。実際の美容師さんにお話を伺うと、シビアな業界だなぁというのをとてもつよく感じます。実はコンビニより多いんですよ、美容室の数って。

それを、「教育」を切り口に、真正面から経営の安定化に取り組んでいらして、その戦略的な発想に舌を巻きました。やっぱりビジネス構造をイジっていく様な話は面白いです。

もう5,6回お打ち合わせをさせて頂いたのだなぁ、と、重ねた議事録を見返していて思ったけれど、「さてじゃあ今までのことをまとめよっか」と思い立ってさっきまでまとめてたら、A3で31頁もある恐ろしい定性マトリクスができあがりました。

こっからちゃんと論点リストにしていくのは骨だなぁ、なんて思いつつ。

 

 

火曜日。

これまた新しい事業に踏み出そうとしているお客様。もう足かけ2年のお付き合い。長らく制度のコトをコツコツ学び取りながら膨大に資料を作ってきましたが、ようやく重い腰が持ち上がって前に進み始めた、という感覚です。あくまで「形式的」な部分でのご支援から始まった本件ですが、具体的なビジネスのオペレーションをつめていくフェイズに入ってきたものだから、お客さんのお客さん、の顔と行動心理を思い浮かべながら、「こんなことが起こったら」を紡いでいく。このお客様は、「当事者」感覚をもった人の集中力はすごいなぁ、というのをいつも感じさせて下さいます。こっちとしてもうかうかしてると足元をすくわれてしまうもの。

 

火曜日2本目。

このあいだの日記でちらっと触れた印刷業のお客様。とても綺麗なオフィス。儲かっていらっしゃるんだなぁ、というのを空気と話から感じる時間となりました。カウンターパートとなる経理の女性がとても接しやすい雰囲気を身にまとっている方だったのが印象的でした。本が好きな身としては、出版物が形になっていく全体をビジネスにされているお客様の事業戦略と組織戦略にの検討に携わらせて頂く、というのは業界的にはとても魅力的かつ、役務内容としても望んでいた「上流工程」での組織再編、ということでわくわくです。案件キックオフの頃が一番楽しいのかもしれませんね。単に知的好奇心が満たされていくから、という理由なわけですが。今期の生活の中心に置かれそうな案件だなぁ、と感じつつ、ファジーな雰囲気が案件の大変さを醸し出しててなかなか落ち着かない感覚ですね。

 

 

水曜日。

もうすぐ丸2年、のお付き合いになるメーカーのお客様。私のことを「社員」と呼んで下さる程打ち解けているわけですが、ここのひとつの事業についてのコンサルティングのご依頼。全体から見たら小さな売り上げ規模の事業なのだけれど…と、ヒアリングに伺ったら「こんなきれいな人が世の中にいるんだ!」というくらい綺麗な人が出てきてとつとつと思いの丈を語って下さいました。「研いでいる人だ」と、語られることばの端々に矜持を感じて。なかなか「お客さんのためにがんばるぞー!」なんて思うコトもないのですが、今回は率直に、お力になれたらな、と素直に想いました。

 

「夢追う人の露払い」

 

そうなりたかった私にとって、ようやくそんな機会を手渡された様な感覚です。

 

 

触れたことばに、

改めて文字のことばを着せて、語られた「想い」に形を与えていく。

 

 

そこが私の、我々の、スタート地点なのです。

いま、こう書いてて、そんな風に、思いました。

 

 

夜更けのプッシュ、明け方の種拾い。

先週末、お仕事から帰ってゆったりと本を読んでいた深夜23時過ぎ。

「いまなにしてんの?」「本読んでるよ」「呑みに行こう」

 

そして初対面のご友人を引き合わされる、という予想だにせぬ展開。

もうぜったい寝るだけで一日が閉じていくのだと思っていましたよ。

それがおいしいクラフトビールにありつく夜更けになるなんて。 

 

「自己紹介しなよ」

 

に促されて、さて何を話したもんかなぁと考える。

読書会で毎月近況と共にじぶんのコトをお話する機会をもらう様になって、

随分自分の話をすることには慣れっこになった感覚があるけれど、

あれは「読書会」という「場」があるから整うものだったのか、

違うコンテキストでは「同じ様に話し始められる」、というわけでもないらしい。

 

そして、私は中高の頃の話を始めた。

いま考えるとなんでそこから話を始めたのかよくわからない。

んで、私を連れだした友人とのなれそめを話して、という流れだ。

 

就活生によく、「あなたが誰か」を教えて欲しい、という話をする。

それは結局「何を」話して欲しい、という要望では無いのだ。

そう問いかけたとき、「何を話すのか」「何を選ぶのか」が、

あなたがそこにいる、という感覚。

 

中高大の話を流した私はそのとき、いったい何を伝えようとしていたのだろう。

 

 

他方でお相手は、友人との関係性と、”今”を語って下さった。

熱っぽく語るお話にはやっぱり魔力があるもので、ついつい惹きこまれてしまう。

生命の導線、なんて面白そうに決まってる。

 

 

そんな風に互いの話をするのを眺めていた今回の発起人が

「そうだったの?」と新鮮な反応をしているのもまた面白かった。

本人も言っていた様に、「相手は、自分との関係性の中での相手の一面でしか」見えていないものだ。

1対1の関係で閉じている間は、その関係性の中での顔しか、見せないもの。

「怒ったところを」見たことない、なんてのはだから、

1対1で関わり合っている限り、ザラにあることなのかもしれないな、とも思った。

 

だから、「普段の自分とは違うコンテキスト」の中で語る相手は、

「みたことの無い」相手として現出し、新鮮だったり戸惑ったり、するのだろう。

 

会社にいる私、サークル仲間といる私、ゼミ仲間といる私、家族といる私、

旧友といる私、誰かと向き合う私、誰かに寄り添う私。

 

全部、私。それでもそれは、月の顔の様で。

 

 

 

隣に居合わせたスカンジナビア人に問いかけられた。

「早い、うまい、いっぱい」と言うのに、

「早くて、うまくて、いっぱくて」と言わないのは何故か。

 

形容詞と形容動詞、なんて単語を耳で聴きながら、

はてそれをどう伝えたらいいのかまるで浮かばなかった。

 

普段使う言葉の品詞が、「なぜそう活用しないのか」なんて、

問うてみたことがなかった。

古文の”勉強”で形容動詞の活用を暗記していたのが懐かしい。

 

なんでなんだろね。と、

なんて伝えたらいいんだろね、のダブルバインド

 

 

 

文系脳 / 理系脳。

先輩によく、「君は文系脳だからなぁ」と窘められていたのだけれど

どうにも腑に落ちなくて、何を拾われてそうラベリングされてんのかなぁ、

なんて思っていたのだけれど、「話していて、ちょいちょい”ん?”ってなった」

と語られて始まったその話は、見事だった。

 

アプライする脳、エクスプロールする脳。

与えられた命題を「所与」として、どう扱うか、どう活かすか、どう解決するか、を考える、文系脳。

与えられた命題を「懐疑」の対象とし、そも何故そうなのか、それは妥当なのか、その前提に乗って良いのか、を考える、理系脳。

 

さて私の仕事は、と。

 

無論、どちらも大切なのだ。

ことにコンサルタントという職業において、「成果へのインパクト」を問うとき、

それは後者の問を駆動することの重要さは言わずもがなである。

「問題の所在はどこにあるのか」を特定することが、課題解決の第一歩である。

 

しかして一方で、「与えられた状況下で、その道具を使って、どう問いに応えるか」

と問うことで、「相手の不安を払拭する」のもまた、求められている価値でもあり。

 

そうしてふと、私の仕事はやっぱり「安心を売る」仕事だよなぁ、なんて思ったり。

 

 

そんなことを考えながら、エクスプロールする脳で、普遍を、真理を求める、というものさしをもらったら、これでまた目が啓かれた。

「何を知りたくて」生きてるの?と。

 

コンサルティングにおいて」普遍妥当するベストプラクティスの様なものを、

見出せるのか。明け方5時頃に、「プロジェクトマネジメント」における普遍を

問いかけて仕事にあたっていたら、拾える気付きも膨大になるだろな、

なんて思っていたけれど、そういえば今日はその分野の躓きに出会ったんだった。

 

「そもそも仕事の仕方が間違ってるよ」と。

 

「考えるのが億劫」「それは、わかる」

でも、と。

 

まだまだ、「軸」に据えるだけの練磨ができていないな、と気付かされた。

そして、前述の「普遍妥当」の探求、に照らすとしたなら、

こんな躓きも、全部が全部糧になるなぁ、と、ものさしの駆動を嬉しく想った。

 

問うこと。

あるいは、

問わないこと。

 

どちらもどちらで、処世術には組み込めるもので。

 

 

 

なんて、明日から社会人になる後輩たちのことを想いながら、

今日で丸3年を終える自分の現在地を思い返しながら、

「そも何故ここではたらくか」を問うて反芻する機会になったな、と感じている。

 

 

これだから、人とじっくり話すのが好きなのだ。

 

「メディア」というフックで、

自分の関心をまとめられないかな、と最近考えています。

 

今度の読書会のテーマ本の一つがマクルーハンということもあり、

「情報を伝える媒体そのもの」というところに関心が向いてる。

 

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Twitterも、このBlogも、そもそも私自身も、ひとつの「メディア」で。

そこに化体している意味合いに、もう少し自覚的になれたらいい。

 

情報を発信したとき、「何を」発信するかではなく「誰が」発信するかで

その情報の意味合いが変質することがある。

それは、その発信主体が環境に蓄積してきた「信頼」や「キャラ付け」が

情報をパッケージするからで、「本好き」の発信なら面白いかもとか、

「お菓子好き」の発信なら間違いなさそうとか、そういう+αが加わる。

(あるいは、マイナスの意味合いが付くのかもしれないが)

 

ある意味で、バーチャルな発信ツールは多分にメディアとしてのカラーを持っていて、

それは平生の情報発信の内容にとどまらず、そのアカウントがリアルと繋がる人

たちにとっては、また別の意味合いが付加されることになる。

 

私の発信には、どんな色合いがついているかしら。

 

 

そんなことを考えていたら、4月から始まる案件がなんと印刷業界。

DTP」に特化した事業から派生してWeb制作やデータ管理をされているお客様。

 

さて私にとってはまったく新規の業界なので、いつも頼る業界本の出番だ。

 

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とりあえず2冊、ばーっと目を通してみた。

前者で業界規模や大手二社の寡占状況、SCMとVC、業界の沿革がなんとなく。

グーテンベルク以来の活版印刷技術の発展、デジタル化のインパクト、

そして「電子書籍」への期待とおそれ、なんて話が面白いですね。

 

編集周りの仕事が多分にプロデューサー的で、たとえば「本」が出来上がる

行程であれば、企画→情報取得→編集加工→製本化(この間に色々あるが)→デリバリー、といった流れと納期とプレイヤーの仕事を把握しつつやらないと書店に並べる日までにやりきらないのだろうなー、やっぱ聴いてる通り大変そうだなー、と。

 

編集加工とっても、DTPではデザインセンスに加えてPCスキルも問われるだろうし、

技術本のコーナーをぷらぷら眺めてみたら「見せ方」から「実現方法」、

機器の仕組みまで図解されていて、身につけなきゃならない「技術」の幅の広さを感じました。

 

 

案件自体は、事業内容を把握→将来展望見据えて戦略立案

→戦略実行のための組織体制の検討(かつ人材育成の仕組み導入)

→資本戦略も併せて検討、社長の相続税対策、みたいなてんこもりの内容。

 

事業×人材育成×税×法律×会計、とフル動員な案件になりそうです。

 

本好きとしては、出版物ができていく過程に関わってる会社・業界のことを

勉強する「口実」が手に入るのは素直に嬉しいし、

組織再編案件の入り口から関われる、ってのは、自分の経験にとってもプラス。

ほんとに「組織再編」ものにどっぷりな日々です。

 

 

プライベートの関心と、仕事内容とが「メディア」というフックで繋がって、

公私で時間をかけるものが重なりそうなので、来年度の面白いものをまずは一つ見つけた、という感覚ですね。

 

さて、今度はどんなひとたちと関わるやら。

吹く風に劈かれて

耳が裂けるかと思った。

 

先日のOBライブで久しい面々と話したからかな、またなんだか不思議な心もち。

一回魂飛び出ていたのを地面に引き戻されて、ワンバウンドしちゃった様な。

 

「やりたいこと」は「求めてること」だったりするんだろな、と、ふと。

ぴゅーぴゅー吹く風の音を遠くに聞きながら、力と気を抜いて身を投げていると、

いつも通りの23時の時計を見て、なんだか気分が重くなる。

 

16時頃に西日を見た秋の日を思い返すと、欲しい時間はそこにあった気がしてくる。

なんだか、とても、やる方ない。気分の波が負の傾きの時期に入ったのかしら。

たぶん、喋りたくて仕方がないのだと思うけれど、

同時に、本を読みたくて仕方がないのだろうけれど、

なんだか靄に包まれている様な、そんな、つめたい肌感覚。

 

 

 

なんだかんだで、話していないとだめなんだろなー、と、おもう。

何の気なしの他愛無い話を、気を抜いて返せる雑談を、

「していなくは」ないのだけれど、どうにもちょっぴり、重たくて。

 

 

それは単に、案件が踊り場にあって、

日があるものの重たいタスクが頭上にずしんずしんと溜まっているからなのかもしれない。

 

随所作主、できていないんだろうな。

 

そういえば今夜は会社で日曜大工を営んでおりました。

本棚の組み立て、なんだけど。なんかそれが一番仕事した気がするという。

 

 

 

あ、思い返したら、今日のお昼はおいしいお好みやき屋さんを教えてもらったんだ。

とても人のよさそうなおばちゃんのお店。

そんなことを書いていたら、呉で食べた広島焼きを想いだした。

 

 

うん、なんだか、てもとがままならない。

 

「世界」というレイヤー

「存在する場所」という意味合いではなくて、「日本」と対置される意味合いでの、「世界」。

 

本日は会社の研修で、「日本をビジネスモデル輸出国家に」というテーマの講演を聴きました。

結論から言えば、ものすごく面白かった。

それは多分に私自身の関心の対象の集積であったから、という意味合いではあるけれど、事業の話、はやっぱりわくわくするもので。

 

日本の経済成長が、10%台で推移していた頃から、オイルショックを契機として

成長率ががくんと下がり続けていた頃。

生産年齢人口の減少とデフレ停滞が続き、一人当たりGDPが下がり続けた頃。

それにも関わらず、所得が増えていた日本。何故そんなことが起きているのか。

それは、「所得」として認識カウントされていない、「各人の工夫」による

収益がダブル、トリプルで立っているからではないか。

 

そんなお話から始まった「起業」についてのお話。

 

日本の開業率は現在4.5%程度で推移しているそうで、これを10%まで引き上げたい、

というのが講演者の想い。

高齢化と人口減少で、人口オーナスが続く将来の日本において、

労働集約型の産業で世界と伍していくには、体力も戦力も足りない。

そうであれば、経験知を稼ぐ糧に変えていくしか、乗り切る途がないだろう。

物流コストを考えれば、消費地により近い場所で財の生産がおこなわれるはずで、

そうであれば消費市場としてシュリンクしていく日本においては、

将来的な貿易赤字は避けえないと見込まれる。

であるとするならば、所得黒字―知財戦略・ライセンスフィーなど、「しくみ」をつくることによって稼ぐお金―で、GDPを底支えしていくほかあるまい。

 

液晶テレビや電池、太陽パネルなどが市場に「登場」した頃から現在までの

日本企業が取れていた市場シェアの推移をグラフ化してみると、

登場時はほぼ100%近いシェアを獲れていたにも関わらず、

これらの分野はのきなみシェアを喪失していく。

「技術」で勝てるから市場に出ていける一方で、

「経営」で負けるから市場から締め出されていく。

 

特許庁」が保護する対象とするのが「パテント」―つまり知財のハード面―に偏りすぎた結果、文化・伝統・地域など「ソフト面」での武器をのきなみ護れないまま、になってしまっているそうだ。「グローバルブランド」として日本がトップに食い込めている分野は僅か2分野。「自動車」と「家電」。ここに行政支援が偏りすぎた結果、日本の「市場」の中でバラバラに動いているうちに、「産業」として「世界」に対抗できず、より大きな市場の中で食いつぶされていく産業がいかに多いか。

「異質」を束ねていく力だけでなく、同じ様な企業でも団結することが難しいのだろうな、というのを如実に表している様な話だった。

業界再編」は、地銀や学校法人をはじめ統合方向への圧力が効いていくのだろうけれど、単に組織をくっつけました、で一緒に走れるかと言えば、全然そんなことはなくて。

入社以来ずっと組織再編案件に携わってきて、身近でお客さんの現場に触れていて、やっぱり「別々のものがひとつになる」ことが、すぐさま融和し団結に繋がるかといえば、全然、そんなことはなくて。個社単体であってすら、部門同士のセクショナリズムでがちがちの縦割りになる様なものなのだ、まして別の組織をや。

 

社会企業家や、最近の起業者に見られる特徴、にも話が及んだ。

①グローバルな実体験をもち、②技術+顧客視点があり、③高学歴で④成長市場に参入して行く、というものだ。

「とにかく最後は人材だ」「ある分野できちんと人が育つには、10年は同じところにいなければ難しい」。「世界標準は最低でもMBA」。「資格は重要」。など、キャリア形成についてや、ベンチャー企業はいかに大手とアライアンスを組むかが成否をわける、という様な経営上の方針・戦略についても触れられた。

 

スパイバーなど大学発ベンチャーの話はやっぱり面白かったし、

PhDr.がきちんとマーケット視点を以て市場に繋がっていける様になることが、

技術で勝負しながらビジネスでも勝てる国家になっていく上で大切、

という話は聴きながら何人かの顔が浮かんだ。

 

 

とにもかくにも、個人的にフックされるテーマがかなり散りばめられていて。

①生産者たれ

②地方創生

③身近な課題意識を事業

④プラットフォーム

⑤構造化

⑥勝てる「しくみ」をつくること

⑦俯瞰してみる

⑧「しくみ」を作る人を支援する

 

読書会とか、ブリッジとか、個人的にやりたいこととか、政策検討部会とか、

ここ最近の関心の対象がみごとに繋がっていく感覚があって。

あまりにもフックされたのでかなり思考が発散してしまったのだけれど、

ちゃんと時間をとって結晶化しておきたいテーマでした。

 

何で括ったらいいのかな。

「知」を用いて「稼ぐしくみ」をつくるコト。

 

うん、「しくみづくり」が、関心の対象としてしっくりきそうです。