None Ta Ma

本と映画と音楽と、散歩しながら思い浮かんだことをつらつらと。

命が終わる場所

そんな話を投げかけられて、にわかに意識が浮揚する。

 

死生観に苦しんでいた10歳の頃の自分が、

何をあんなに恐れていたのかということを言語化しようとしてみて、

それでも今も変わらず「循環参照」みたいな袋小路になる。

 

「自分の死」を想うとき、二つのことが浮かぶ。

 

終わりは嫌だ

永遠も嫌だ

 

この二者の循環ループである。

これを考え始めると途端、意識のCPUがシャットダウンする。

叫び声をあげたくなる。

これが継続する感覚が、「発狂」というものなのかと、

その急騰する脳内の温度を想う。

 

大学時代、友人に教えてもらったRADWIMPS

「ヒキコモリロリン」の歌詞が、取り急ぎ僕のアスピリンだ。

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死んだ後にどこに行こうが 心配するの早すぎやしないか?

まずは人間を生きてから 明日の楽しみ数えてから

 

 

うん、「考えない」という抵抗だ。

自死」を「想わない」。

 

 

他方で、池田晶子の『考える日々』を読んでいて、

「死とは無だ。なんにも無いってこと。」からっぽ。

なんにもないからっぽなのに、何を恐れることがある?

認識と、感覚と、思考と、自己存在と、ぜんぶぜんぶいっさいがっさい、

そこから先はぷつんと、無くなる。

残るのは残されたひとたちの記憶だけ。

 

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「おそれ」の正体は、なんなのだろう。

私はなにを、「こわがって」いるのだろう。

10歳の頃の自分がおそれていた漠然としたもやもやとした重苦しくて苦しい感覚

18歳の頃の自分が自壊しそうになる夜の欄干で茫漠としていた途方も無い感覚

24歳の自分が現前の苦しさから目を背けたくて憧れた憧憬

そして、今。

 

死は、「誰かの死」でしかなくて。

 

自死を想うとき、私の中の<わたし>が見聞き感じ思考するのは

結局のところ生のことばかりで。

 

「命が終わる場所」としてふさわしき、

なんて、想うのは外から見える私の肉体のその後なのだろうか。

それとも<わたし>それそのものがぷつんと切れるそのときまでを、

感じ思い続けていたい「最期にみたい光景と感触」へのねがいなのか。

 

 

生き永らえるために

生き続けるために

 

肉体の物理的変化に、物理的側面から抗い続けるのが医療なら

尽き逝く自らの生の観測主体、この肉体にとじこめられた<わたし>を

生に繋ぎ続けたいと願うのはなんなのだろうか。

 

「たい」なく生きるのは「たくない」の消極的な結果だけ、なのだろうか。

 

 

「わたしの葬式」を、見てみたいと思う。

でもそれは単に、生きている周囲のきもちを見たい、というただそれだけなのだと、気付く。

私が死さなければ見ることのできない「想い」は、視えないままでいいのかしら。

数字になる。セレモニーになる。偲ぶ側は自らの気持ちに目を向ける。

 

 

 

祖母が亡くなった夏を想いだした。

ほとんど徹夜で寝ていなくてぼーっとしていた夕方の職場に、

母から電話が入った。

その足で電車に飛び乗り、帰省の途についた。

電車の中であたまはぼーっとし続けて、感覚が追い付いてこなかった。

家に付いても、その手触りの無い現実感は、手触りの無いままだった。

亡くなった祖母の冷たい身体、動かないつくりものの様な容貌をみても、

まだ実感が湧かなかった。

 

葬儀場で、老人ホームの方々が作って下さった、アルバムを見たとき、

 

初めて哀しみが追い付いた。

 

 

 

 

泣き崩れて、何もできなかった。ただただ泣くことしかできなかった。

 

「こんな顔で、笑っていたんだ」

 

 

途方に暮れた。

 

同時に、彼ら彼女らのしごとが、とてもとても尊いものに思えた。

今まで知り得たどんな職業よりも、素晴らしいものに思えた。

 

 

 

 

そういえば祖父は、「屋上からの前橋の景色がみたい」と語っていた。

想っていたのだろうか、命を終える場所を。

 

祖父の葬儀で、まだ自分の脚で歩いていた頃の祖母が、

えんぴつを棺の中に入れていたのを思い出した。

 

「天国のじーさんから、ラブレターを書いてもらえる様にね」

 

 

 

自分の「命が終わる場所」を想うに、

それは「場所」だけなのか、なにか「終え」ておくことを希うのか、

そんなことが、気になり始めた。

 

イリイチの読書会の際、「どう生きていきたいか」なくば成人学習なんて、

などと口にしたけれど、「生きていきたい、かたち」にはまだ無自覚だ。

 

今の生活、いまの暮らしぶり、今のしごと、今のひととのかかわり。

それが、「生きていきたい、かたち」なのかと問うて、

手放しにYesを言える気がしないのは、きっと「たい」の在り方を想う、

無自覚無意識の<わたし>がいるからなのだろうな、とおもう。

 

 

「自分の葬式までわかんない」なんてことになんないよーに

かかわれるひとに、かかわれるうちに、ちゃんと関わっておきたいから、

 

だから、「真摯に向き合いたい」なんて、望んだのかもしれない。

 

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