None Ta Ma

本と映画と音楽と、散歩しながら思い浮かんだことをつらつらと。

それを神と呼んだ。

火の鳥 未来編を読んだ。

 

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「途方も無い絶望」と後輩が語って薦めてくれた本なのだけれど、

二つ前のエントリ「命が終わる場所」で思い返していた事柄につきあたった。

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「永遠」と「終わり」の、どちらもに対するおそれ、が、

この物語に見事に描かれていた。

たった一人になり、生命の途絶えた星で、「人間が生まれ直すのを」

待ち続ける存在となることの、途方も無い絶望。

「冬眠している人を起こす」シーン、と言っていたあのことばの意味合いが、

とてもよく、わかった。希望があるから、耐えることができるのだと。

 

「永遠の命」「老いない身体」

 

ドラゴンボールフリーザ編を思い返してしまうのだけれど、

「永久の命」「永久の意識」というのは、肉体がある限り

怖ろしい絶望と隣り合わせなのだ、と思う。

そしてこの火の鳥で、肉体なくも恐ろしい絶望と向かい合わせだ、と思った。

 

 

以前読書会で読んだ本の中で、もっとも私の心を揺さぶったもの。

ライプニッツの、モナドロジー。

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彼の僅か40頁弱に世界の総てを描いた思想もものすごいけれど、

この本に触れた当時はその博覧強記ぶりに舌を巻いた。

書簡のやりとりされている相手の数も、その内容の広範ぶりもだ。

こんなに「世界のあらゆること」を修めていそうな人の描いた

「世界」と「神」のお話。

 

世界とは、包み、包まれる、全一の関係。

 

読んだ当時はまったく意味が分からなかったけれど、

今はなんとなく、その輪郭が心の中に掴めた気がする。

 

私は目を瞑れば、宇宙の全てを「想像」することができる。

宇宙の果てだろうと、地球を俯瞰することだろうと、銀河を動かすことだろうと、

なんだってできる。

私は私の心の中に、宇宙全てを「包む」ことができるのだ。

 

他方で、わたしの心はわたしの肉体に閉じ込められ、

わたしの肉体は、この宇宙にとじこめられている。

宇宙に、「包み込まれている」のである。

 

宇宙を、世界を、包み込むことができる「こころ」というものと、

その「こころ」を包む「世界」。

 

「宇宙生命」と火の鳥で描かれていた「素粒子の中の生命の中の素粒子」。

どこまでいってもつづく、無限小と、宇宙と言う無限大。

 

 

「宇宙」と「諸世界」と言えば

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この本もまた。火刑に処される覚悟で書かれた、宇宙について。

 

「宇宙に果てはあるのだろうか。」

宇宙は無限か、有限か。

宇宙が有限だとすれば、宇宙の端っこにいったとき、その外側には何があるのか。

そこには「無」があるのか。「無」が「在る」って、あるのかないのか。

「無限」の空間って、想像できるのか。

 

なんて、ちんぷんかんぷんになりながら四苦八苦して読んだ記憶が蘇る。

 

火の鳥』『モナドロジー』『無限、宇宙および諸世界について』。

こんな本ばっか読んだり思い返したりしていたら、思考のスケールが

突き抜けて伸び切っちゃう。

 

そして部屋で紅茶の香りに気付いて、宇宙までぶっとんでった思考を

どうにかこうにか現実現在に戻すのに四苦八苦する。

 

そうして、途方に暮れるんだ。