「あなたはこんな人だよ」と
告げられることに関心が向くのは、自分を理解したいと望むからなのだろうか。
会社でStrength Finderという「つよみ発見プログラム」の様なものを受けて、
その結果が出力されてきた。
1.最上志向
2.収拾心
3.適応性
4.学習欲
5.内省
が、私のトップ5の「つよみ」なのだそうだ。
2~5は自覚している自己イメージの通りだなと思ったけれど、
1は新鮮だった。
「あなたは平均では満足できません。秀でるものに惹かれるのです。」
それが自分でも、他人でも。
「あなたは短所の克服に膨大な時間をかけることにストレスを感じます。長所を伸ばす方がもっと時間がかかるかもしれないとしても。」
なおらずにきたものは、なおらないままだった様な気もするし。
「長所」を伸ばすコト、に集中するコト。
短所を克服しても、それは人並み以下にしかならない。
レーダーチャートの凹みを消すよりも、秀でるもので突き抜けなさい。
そんなことを、1年前くらいに部門の上司に沖縄で話された記憶がある。
「だからポケモンを伸ばしなさい」
と、回答はちょっとアルコールに染まっていたけれど。
そんな「最上志向」なるものが、わたしの「つよみ」の最上位として検出されて、
ではまさにここに挙がってきた様なことを「伸ばして」「突き抜ける」ことが、
わたしの進む方向なのだと、して。
それを伸ばしていく先に、何を描いたらいいのだろうか、ということに突き当たる。
収拾心は、「好奇心」と読みかえるとして。
新しいもの、知らないこと、惹かれるものに、すぐに飛びつくコト。
それはその通りの性格だと自覚しているし、意識的にそういう行動を採る様にしてきた。
座右の銘は「思い立ったが吉日」。
護り続けていれば、いいのだと、いうことだろうか。
関心の幅を規定しないということは、それだけ「尖らせていく」ことは難しい様にも、想う。
他方で、「よくそんなになんにでも興味をもてるね」と言われることも、少なくない。
先日の「氷山モデル」の話に照らせば、水面下にある「話」を誰かとする上で、
関心を選り好みしていたらそこに触れることができない、と思っていたから、
その「何か」を通じて目の前の「誰か」に関心を持とうとしているに、すぎないのだけれど。
そういえば、書店をぷらぷらと歩いていて、目に飛び込んでくるタイトルを見ながら、
「自分の関心」で起動するフックも当然あるけれど、
「あぁ、この話、こないだあの人がしていたな」とか、
「この本、あいつの仕事に関わりそうだな」とか、そんな風にフックされることも多い。
それを読んだら、次にその人たちと会った時にもっと色々話せるじゃん、と、
そんなことを想いながら手に取っていることに気付いた。
適応性、というのは「そのときそのとき」起きることを受け容れて、
その現実に対処していく力、とのこと。
たしかに毎日、なんとなく描いている「その日にやろうとしていること」
のイメージは、次から次へと突っ込まれる「誰かのタスク」とか、
総務から採用の手伝いを要請されて増える「全社ごと」とか、
お客さんから電話一本で投げかけられる「お困りごと」とかによって、
常に修正を余儀なくされる。
そんな中、とにかくとりあえず凌ぎ切ろうと、捌ききろうと対処する。
それがオーバーキャパになるとか優先順位を誤るとかで転けることはあるけれど、
まぁ確かに予定がころころ変わっても、あまり動じずにこなしてるな、と思う。
他方で、「休日を食おうとしてくる」依頼には猛烈に反発したくなるけれど。
休みを潰されるコト、本が読めなくなるコト、そのあたりが、
自分にとってはストレスの度合いが大きいような気がしている。
干渉されるのが嫌いだな、という自覚はあるのだけれど、
とはいえ頼まれること自体は嬉しいのかもしれない。
承認欲求と自己自治のはざまでゆらゆら。
学習欲、とあらためてまじまじと出てくると。
たしかに「学びたいな」と思うコトは日々溢れているし、
知ること理解することそのために時間を使うことは苦じゃないなぁと思う。
でもこれ、「何を目指して」発露している欲求なのだろう。
「直面した時に、対処できる様に」準備しておきたい。
たぶん、そんな感覚、なのだろう。
あるいは「直面してしまったから、対処したい」ので情報にあたるのだろう。
そうそう、最近は社外にブレーンを増やしたいな、と思うことが多くなりました。
読書会の主催者は頼れる相談相手だけれど、それをもっと複数分野でいろんな人に拡張したい、という欲求。
政治も、経済も、テクノロジーも。本屋、カフェ、観劇、映画、音楽、美術、その他たのしいこと。なんでも。
単に、「話好き」だから、常に誰かとおしゃべりしていたいだけなのかもしれないな、とも思います。
うん、ゆっくり話せる相手と、ゆったり話して生きていたいもの。
内省、は、いまやってるまさにコレだよな。
「心理学、哲学などに触れてみるとよいでしょう」なんて書いてあったけれど、
最近は池田晶子さんのエッセイ全集やら、読書会でテーマにあがる思想やらに
触れることが多く。心理学は昔からの関心そのものだし、
自分の頭ん中に浮かぶものを文字にしていく様な書きものについては、
もう13年来の付き合いかもしれない。
想ったコトを、「ことば」にしていく。
小学校の頃につくったHPで、575で日々のトピックをトップページに毎日書いてたのが走りだったかしら。イギリスにホームステイに行った後も旅程をHPにまとめていた様な。あぁ、やっぱ昔から好きなんじゃんね、そういうの。
自分のなかの漠然としたものに、服を着せていく感覚。
これがどんなときに役立っているのかといえば・・・。
それはやっぱり、誰かと対峙するときで。
「うまくことばにできないもの」を「じぶんのことば」で表現する、おてつだい。
サシで誰かと話すときには、自分が内省するときの感覚で向き合っている気がする。
ざーっと、吐き出された「わたしのつよみ」なるものについて、
それぞれ浮かんだことを、書き連ねてみたわけだけど、
結局それを、何か結晶化することはできないかしら。
「特長」をより伸ばしたくて、「好奇心」と「学習欲」で知らないコトを知っていくことが好きで、つぎつぎに生じる「今」の変化に適応性があって、自分の中に浮かぶあれこれと、向き合うことに長けている、と、して。
関心があってちょこっと勉強した「コーチング」あたりが、
イメージとしてはしっくりくる様な気がしては、いるのだけれど。
もしそれを、「なりわい」とするレベルを、目指すなら。
今は経営コンサルタント、という職業にあって、
述べてきた「特長」が、職業において武器になるだろう、とも、想うけれど、
この職業は、「組織」でやるべきものだと、現時点では結論付けている。
「個人」でカバーできる範囲には限界があるからだ。
税も、会計も、法律も、事業も。
すべてを一人でカバーする努力をするには膨大な時間を要する。
ならば、それぞれのスペシャリストとコミュニケーションをとれて、
顧客のニーズを言語化し、その間の橋渡しができる方が、
顧客にとっては何倍も価値を生むことができると思うし、その実感がある。
「経営コンサルタント」として独立したい、と思わないのは、
組織力に敵うイメージが全く湧かないからだ。
それは単に、「それ単体だけで大きな付加価値を産める」武器を自身がもっていないということでもあり、先述の「社外の頼れるスペシャリスト」とのネットワークがない、ということでもある。
自分がそれ単体で、お客さんの困りごとを解決できるだけの武器をもって、
なおかつ自分の手に負えない場合には適切な誰かに繋ぐことができる。
そのレベルになってようやく、組織を離れてやってく決心がつくのだろうと、想う。
他方で、「コーチング」で、あれば。
現時点で考えつくのは、こんなところだろうか。
せっかくこんな風に「あなたはこんな人だよ」と言ってもらったのだから、
それが現実誰かの役に立つ様に、繋げていけたらいいな、と思う。