None Ta Ma

本と映画と音楽と、散歩しながら思い浮かんだことをつらつらと。

就職活動って、

なんだか浮き足立つような響きがあるなぁと、思います。

 

私が就職活動を行っていた頃は2011年、震災のあった年。

世の中どうなってしまうのだろう、と現実感の無い現実で揺れていたのを思い出します。

今の会社に入ってもうすぐまる3年が経とうとしているわけですが、卒業してからも大学の後輩に相談を頂くご縁に恵まれまして、すっかり毎年この時期になると関わることになるテーマになりました。

 

自分が当事者だった頃を含めて5期目となりますが、例年、出会うお悩みや思うところはそんなに変わっていなくて、これもまた「知っているか/知らないか」の差に過ぎないことだなぁ、と思います。

 

1.就活キーワード 

ここ最近、自社の採用活動をお手伝いさせて頂く機会に恵まれたので、総務にくっついてって合同説明会で学生とお話をさせて頂いたのですが、「就活解禁」となって間もないこの時期だとまだ、よく聴く「就活キーワード」が宙で踊っている感覚があります。

 

自己分析、企業研究、OB訪問、会社説明会、ES、Webテスト、えとせとら。

 

「OB訪問ってした方がいいのですか?」

「合同説明会って無意味なのですか?」

「企業研究って何をしたらいいのですか?」

 

毎年ふわっと、そんなことを訊かれるわけだけれど、これらの「就活キーワード」がなんだか個別にふわふわしているのは、単にこれらをあてはめる地図を持たずに流れ込んでくる情報の洪水に翻弄されているからなのだろうな、と思います。

 

2.それを地図にできますか?

就職活動、裏返して言えば、採用活動。

これって、結局、会社が「仲間にする人を見つけて、選ぶ」活動なのだと思います。

入れるか入れないかやきもきしながら必ず就活性が対峙するのは、面接。

そして、『その背後にある、人事権を持った人間による意思決定』です。

 

面接を通して、「あぁ、この人はこんな人なんだな」という解釈を材料として、

仲間に引き入れるかどうかを決める。

「採用する側」からすれば、そういう活動です。

 

では、前述の「就活キーワード」は、この「面接」を起点にした場合、

どう位置づけることができるでしょうか。

 

一次面接、二次面接、と、何度か面接がある企業が一般的だと思いますが、

就活生が相手にするのは、実際に対峙する「面接官」だけではありません。

その面接官には、上司がいます。

そして、あなたの代わりに、その面接官に、あなたのプレゼンをしてもらわねばなりません。

 

「今日面接した子、どうだった?一緒に働けそうかな?」

「あまり気持ちが見えませんでした。世の中で正しい、とされていそうなことを話すばかりで。正解探しじゃなくて、この子自身の考えを聴きたかったんですけどね」

 

こんな話、よく聴きます。

 

3.「あんた誰?」に答えるということ。

面接って、この「あんた誰?」に答えることだ、と私は考えています。

この時期に書かれたESを見せてもらうとよく出会うのが、

 

「日本はこれから高齢化が進み、労働力が減少する社会になります。そんな社会で大切なことは、いかに自社がローカルで生き残る道を模索できるか。私は日本を元気にしたい」

 

みたいな講義調のお話と、使命感溢れる決意。

『地方消滅』でも読んで感化されたのかしら。なんでそれを決意する様になったのか、を聴きたいんだけどな。

そんなことを思って後半を読んでみるけれど、一向に「何故」そうお考えになったのかが見えないので、なんだか新聞の切り抜きを読んでいる気分になります。

結局、「よくわかんなかったね」と、なってしまう。

 

きっと書いた本人の頭の中には、ちゃんとそう考えるに至った経緯や想いがあるだろうに。勿体ないなー、と思いながら。

 

4.選ぶ側が、選ぶ理由を言語化できますか?

面接が、「仲間にする人を選ぶ意思決定を行うための材料集めの場」なのだとしたら、

面接を受ける側がすべきことは、そういう「材料の提供」に他なりません。

面接その場で、問いかけられながら「あぁそう、そういう判断材料が欲しいのね」とわかる人であれば、身一つで飛び込んでもうまくやるのでしょうが、なかなかそう上手くはいかないもの。

 

考えたことのないことを流暢に喋るのって、結構難しいものです。

 

だから、企業側が「聴きたいであろうこと」、を準備しようと必死になるのでしょうね。

「過去の面接でされた質問」を必死にインターネット検索するのは、そういう心理がはたらくからでしょう。

 

5.さて、「就活キーワード」ども。

「面接」を起点にしてみたとき、その場に臨むまでに準備することは、前述のとおり企業側が「聴きたいであろうこと」ですが、そんなの世の中にパッと答えが置いてあるわけではありません。

 

企業の採用HPやら、ESやらに、問いかけの一部や求める人材像、なんてのがあってヒントにはなるけれど、それらだけから自分の中を必死に探しても、なかなかうまく自分の中で回答を作れないもの。よく知らないんだもの。会社のことも、世の中の事も。

 

「企業研究」なるものも、「会社説明会」も、「OB訪問」も。

企業側が「聴きたいであろうこと」を探る、確かめるチャンスなのだろうな、と思います。「この会社はこんなことをやってる。こんな職種(営業、経理など)を求めてる。この会社におけるこの職種の役割はこうだから、こんなことができたら上手くできるのかな?」

 

そんな風に考えた(HPやら得られる情報から自分で考えて、「企業研究」なるものをしてみた)内容が、「ほんとにあたってるのかな?」を確かめるために、その企業の人と触れられる、話せる機会を利用する、という位置づけになるのだと思います。

 

他方で、この「枠組み」(=企業側が知りたい材料)をもった上で、

「なら自分にあてはめたらどんなことを話せるかな?」というのを、

経験、思考、行動様式、きっかけ、などの切り口で拾い集めてくるのが

「自己分析」なるものなのだと思います。

 

 

そう。枠を作って、そこにあてはまるものを探してきて、渡してあげる。

「面接」を起点にしてみると、相手が求める「枠」を知るための活動が

会社説明会への参加」なり「OB訪問」なりを通した「企業研究における仮説検証」で、その枠に中身をあてこむのが「自己分析」なのだと、整理できます。

 

6.面接における三大質問

①志望動機

②頑張ったこと

③やりたいこと

 

よく聴かれるこんな質問ですが、ESを書く時にはそれぞれ個別ばらばらに、自分のエピソードを記憶からひっぱりだしてきて、独立で表現しがちです。

でもこれって、「時間軸」と「あんた誰?」をものさしに置いてみると。

 

過去=頑張ったこと

未来=やりたいこと

現在=志望動機

 

と、整理することができます。

「私はこれまで、●●に注力する中で、△△という想いを強めました。だから、これからの人生においても△△を大事にしながら、■■ということに携わっていきたい。それを叶えるために、××があり、☆☆のできる御社で働くことを、志望しています」

 

繋げて話せる様になります。

この一貫性が、「あんた誰?」を、面接官が、その上司に話す際の話しやすさになります。一連の物語で語れる様になるから。

 

7.案外自分じゃ気付けないコト。

今までくどくどと、「話す内容」について書いてきましたけれど、

なんだかんだ、「話してる姿そのもの」の方が大切だったりします。

 

就活生によく、「就活してた頃に一番大事だったことはなに?」と訊かれますが、

私は「人とたくさん話したこと」、と答えています。

自分の脳内では傑作でも、人の目にはゴミに映ってる、なんてことはザラです。

なかなか、「自分の常識=世界の常識」という感覚から、抜けられないものです。

 

私が就活生に「面接官ごっこをするといいです。面接官側で」と薦めるのは、

いかに対峙する相手が「自分の問に正面から答えてくれないのか」

「演説になってしまっているか」「まだ考えをまとめきれていないのか」

というのを目の当たりにし、「自分もそうなってるんだ」ということに

早い段階で気付いて欲しいからです。

 

目の前の相手が、面接官から見えるあなたです。

 

 

 

なんて。

気付いたら3,000字くらいも書き連ねてしまったけれど、

例年、就活生に相談を頂いているお話は、こんな話です。

毎年、みんな、おんなじ内容で、おんなじところに躓いてる。

 

 

想像でいいから、「採る側」の視点に一度でも立ってみて、

面接官の背後には「その上司」がいるんだ、ということを

知ってさえいれば、いくらか就活始めたての頃の「何をしたらいいかさっぱり」

という不安からは脱せるんじゃないかなぁ、と思います。

 

 

もう一個。

 

「自分が選ぶ側」―自分は何を望んでいるんだろう?―

 

というのも、例年出会う大きな悩みですが、こちらはまた機会があれば。

「知っていれば」というより、こちらは直接お話しながらやってく

感覚の方が強いですね。

 

 

 

さて来週は、どんな学生に出会えるやら。