None Ta Ma

本と映画と音楽と、散歩しながら思い浮かんだことをつらつらと。

風邪

風邪は本当に厄介な病だと思う。

 

まず鼻水。両方の鼻の穴から洪水のようにあふれ出てくる。

ひき始めの頃などは粘性もあまり帯びておらず、「ちょっと待って」と声をかける間もなくトンネルの外へとめどなく流れ出てしまうものだから始末が悪い。

ティッシュが何枚あっても足りない。

 

風邪をひいたことを自覚するのは大抵喉の違和感からだ。「あぁこれは熱が出るな」と予感がする。そしてその予感はだいたい当たる。のどのいがいがはすわりが悪い。こちら方面で症状が悪化すると、食事が文字通り喉を通らなくなってくる。

 

そして発熱。全身が熱を帯びてくる。これ自体は「あぁ、戦ってくれているんだなぁ。ありがとう、身体よ。」と、治す為に頑張ってる感があるので、そこまで嫌いなものではないのだけれど、僕の場合には漏れなく「悪夢」とセットなのが悩ましい。しかも同じ内容、荒唐無稽な内容を繰り返す。人形の中に人形があって、またその中に・・・とマトリョシカの様に、夢の中で夢を見て、悪夢から覚めた夢をみてまたその世界の中にいる、というなんとも徒労感に苛まれる症状が現れるのである。これはその時々の懸念事項、たとえば仕事で「こうなったら大変だな」と思うことを実現してしまった内容になったりする。厄介なのはまさにここだ。そう、「心を削りに来る」のである。

 

風邪をひくと、宿主の一大事だ、といわんばかりに身体のエネルギーが身体を治すために総動員される。これは活動の為の肉体的なエネルギーもそうなのだけれど、例えば「悲しみや怒りなどの感情」を普段、防衛的に堰き止めている精神的なエネルギーにも赤紙が届くのだ。平生は「合理化」「自己正当化」して、痛みを避けていた感情たちが、ダムが決壊したかのような勢いで心を直撃してくる。正視に堪えないからこそ隠匿していたものものが、心を削る精鋭たちが、群雄割拠して一気に押し寄せてくるのだ。これがたまらなく、苦しい。

 

 

僕にとって「風邪をひく」というのは、先に挙げた様な身体的なうっとうしさ、しんどさは当然あるのだけれど、感情のツケを精算するタイミングでもあることが厄介である。こうなると非常によろしくない。殊に最近は熱帯夜がつづき、気温が高いのか体温が高いのかわからなくなる。適応し、静養する為のエネルギーに、ガンガンと心を護る為のエネルギーが消費されていくのである。そして思考が袋小路に捉えられ、寝付けなくなり、きちんと眠れないから風邪が長引き、という悪循環となる。気が滅入ると身体も滅入る。

 

そのようにして大抵、向き合うことになるのは「劣等感」と「孤独感」である。

対人関係において望みが叶わない現実に、要らぬ含意を連れてくる。

そうして、人に対する不信感がむくむくと育ち、「誰に相談したらよいかわからない

」「電話帳を眺めてみたけれど、話したいと思える相手が一人もいなかった」といったことが起きる。そうしてさらに、孤独感を強めることになる。劣等感は更に、「人と関わることに対する引け目・負い目」を生じさせてくる。こうなるともう、「勇気を出さない理由」の自己正当化、「良い関係を築く」ための努力の放棄に繋がる。

 

 

どうしたらよいのか。

何故だめなのか。

 

 

確かめられない問が、心の中を埋め尽くしていく。

エネルギーがただでさえないのに、悪夢の内容に折り合いをつける為に更に削り取られていく。

 

 

この狂おしい夜が、殊に夏の熱帯夜は、聴いてもらえねければ救われない。

風邪は、本当に厄介な病である。